【私の想い】

私の想い

スペシフィックカイロ路の佐藤代表に、スペシフィックカイロ路を始めたいきさつ、こだわりなどをお聞きしました。

身体がものすごく弱かった幼少期

私は予定日より一月ちょっと早く産まれたからでしょうか、風邪、扁桃腺、アデノイド、中耳炎と高熱を出すことが度々で、自慢にならないですが病院の先生や看護師さんがお友達みたいでした。

でも外で遊ぶことが大好きで、少しでも調子が良いと遅くまで遊んでいました。
だって楽しいんです友達と遊ぶのって、でも夜になると熱が出てました。
他の人がみたら健康じゃんって言われてたと思います。

高校の時にテニス部に所属していましたが、熱があるからので早退してると部の人から、サボリと言われてました。
私にとっては辛い言葉でした。
だって心は皆と一緒に運動したいんです。テニスがしたいんです。

耳の異変に気がついた小学校時代

小学1年生の授業でなんか変だな~と感じたのが、先生が私達の方を向いて話していてそれから黒板の方を向いて又私達の方を向きその動作はあたり前な事ですが、私にとって衝撃な事だったのです。

先生の話が“とびとび”にしか聞こえないんです。

始めはこの先生おかしいな~お話の間がないじゃんって、友達に「先生おかしいね」って言ったら友達は聞こえているんです。


はじめは、周りの人が嘘を言っていると思っていました。
自分の耳が悪いとは思っていませんでした。


原因は私だったんですね。

それから近くの耳鼻咽喉科に行ったら大きな病院を紹介していただきました。
その病院は電車で4つ目で降りて歩いて15分位あるのですが一人で通っていたので、心細くて寂しかったです。


病院での待ち時間にポツンと一人だけ取り残される時間があるんです。
私はいつも一人でしたが、周りを見ると、私と同世代の小学生の子達には家族がいる。
そんな姿を見て、待ち時間はいつも寂しく思っていました。

「人の優しさが身に沁みた」一人ぼっちの通院

でも看護師さんや患者さんがアメやお菓子を下さって、とても嬉しかったんですが涙が出て来て、人の優しさがとても心に沁みていました。


それは、小学校1年生の私が一人で病院へ来て、寂しそうにしていると、患者さんや看護師さんが気にかけてくれて「自分は一人じゃない!」っていう気持ちにさせてくれました。


その治療は耳にヘッドホンからキーンって音を聞いたり、鼻から耳に空気を入れたり他にもしたのですが、あまり覚えていません。
この2つはとても耳が痛く鼓膜が壊れるんじゃないかと思った事を覚えています。

その後、耳の聞こえは普通の人よりは、少し聞こえが良くない位まで回復しました。

また、私の身体の管(くだ)は人より小さく細いらしく、他の方達は何気なく鼻をかんだりされていますが私はそれをすると耳の鼓膜に影響がでるので、鼻が出てる分だけ拭き取っています。
耳鼻咽喉科通いもやっと終わった小学3年生の3学期に腎炎という事が分かって、それからは学校へも行けないし外で遊ぶ事も出来なくなりました。

腎炎という病のおかげで見つけた「将来の夢」

腎炎になって疲れやすくなって無理が効かなくなりました。


インタビューの様子

小学生の頃は、健康診断の時の前日は安静にして早く寝るようにしていました。
これは、腎炎って疲れが出るとタンパクが出るんです。
タンパクが出るとうことは、身体の老廃物が尿になって出てきます。
これが健康診断で引っかかると、また学校に行けなくなってしまい、病院で一から治療を受けないといけなくなります。
それで、安静にして健康診断を受けていました(笑)


あと、無理が効かないので、何日か短い睡眠時間で試験勉強などすると熱が出ていました。
試験の当日に熱が出て、親がタクシーに乗せてくれて行ったこともありました。
試験は休めないからですね。


そのころからだったと思います、本が大好きになりました。
まぁ本読む事しか出来なかったんですけどね。
テレビは見たらダメだったんです。
空想するのも大好きで、本に出てくるところに自分が行ったりして遊んでいましたが、外に出る出たい出たら思いっきり遊びたい。
そんな事ばっかり考えていました。


なので今はちょっと暇な時間があるとお尻がムズムズしてくるんです。
外行きたいになるんで海や山に車で出かけています。
それからも過敏性大腸炎・自律神経失調症などいろいろ経験しました。
今ではかなり健康体になっているとおもいます。
病気を知ると健康の有りがたさ動ける遊べる楽しさを実感しますし人の優しさも体感します。
先生や看護師さん病院にいらした患者さん達に又移動の時に親切にして頂いた方達に心からお礼を述べたいと思います。
「ありがとうございます」

でも現実は、辛い毎日の連続…

辛かった日々について

社会人になり就職したものの、あまりにも仕事がハードな会社で、辞める人がとても多かったほどでした。
私も腎炎などの影響で相変わらず疲れやすい日々でしたが、ハードな仕事を頑張ってこなしていました。
余りにも仕事がハードすぎてクタクタな毎日。
「このままでは身体がもたない」というくらいに追い込まれ退職することになりました。


しかし退職日の朝、「今日が最後の日だから」と思い、いつものように会社の机をお掃除していたら、いきなりフラ~っと貧血みたいな感じでで倒れてしまったんです。
「おい、大丈夫か?」
会社の同僚が目の前にある病院まで担いで連れていってくれて、即入院でした。
入院中も、具合が悪く吐き気がきてトイレに行ったら、そこから動けず、トイレにある救急ボタンで看護師さんを呼んでベッドに連れて帰ってもらうような状態でした。
これは自律神経が崩れているとのことでした。


この入院しているときは辛かったです。
なぜなら、病院の先生からは、「自律神経がやられているので、外で遊びに行くことがあなたのお仕事よ」と外に出るように言われました。
しかし、病院から出ると具合が悪くなってしまうんです。
元々、外に出ることが大好きでしたので、外に出て人と具合が悪くなって、おしゃべりができなかったり、立っていられなくなったり対人恐怖症など、つらい日々を送っていました。

入院中に学んだ「人生で最も大切なこと」

入院していた時ベッドから起き上がったら、「大丈夫だよ」っていう感じを出してくれる「女神様のような笑顔」を返してくれる女性がいました。
笑顔って凄くて、その方の微笑むような笑顔にすっごく救われました。
なんといっていいか分かりませんが、心が暖かくなる感じです。


その女性とお話していると、手首にリストカットの傷がたくさんあったんです。
リストカットの理由などは聞けませんでしたが、人の生き方で2つの事を教えてもらいました。

一つ目は、
「自分の生き方を相手に押し付けない」
そして二つ目は、
「自分を生き方を恥じず、納得する生き方をする」
ということを学びました。


この経験を通じて、クライアントさまに不安感を持たせないように心掛けています。
相手のお話をきちんと聞くように雰囲気作りなどには意識しています。
これは、お話の中にお悩みとかがもしかしたら隠れているかもしれませんし、私自身がクライアントだとすれば、話を聞いてもらいたいからです。

「首の調整」上部頚椎カイロプラクティックに出会う

2004年それまでの私は、会社人として定年まで会社勤めをするのだろうと思っていましたが、身体の動作が思うように出来なくなり、知り合いから「首の調整」を教えて頂き、 何回か通っているうちに身体全体がとても楽になりました。

初めのうちは私のように楽になって欲しいかったので、 「上部頸椎カイロプラクティック」を知人等に話して喜んで頂いてましたが、だんだん私がこの上部頸椎の施術を習得して、人のお役に立ちたいと思うようになりました。

上部頸椎カイロプラクティックの学校「アトラスナチュラルセラピー」第6期生として入校致しました。

それから5年の期間を経て、4月24日 福岡市中央区警固にて開業いたしました。


小学校の時の夢は「シュバイツァー博士のように病気で困っている方の力になりたい」でした。
医者にはなれませんでしたが、この首のカイロプラクティックに出会って夢を実現したいと思いました。
心から笑えるのも健康だからだと思います。
いろんな方に健康の嬉しさ楽しさを知って頂きたいです。
もっともっと健康へのお手伝いが出来るように、日々精進して行きたいと思っています。

プロフィール

【出身地】 福岡県
【血液型】 O型
【星座】 みずがめ座
【一言】 急がば回れ
【自慢できること】 どこへでも地図なしで出かけられる事
【平均睡眠時間】 約5時間
【口グセ】 よかった・うれしい・ありがとう
【好きな食べ物】 フルーツケーキ
【嫌いな食べ物】 特にないが、ポテトサラダに入っている林檎
(林檎だけだと大好き)
【好きなスポーツ】 テニス
【趣味】 ドライブ・旅行
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